蒲原宿~金谷宿 Kambara Kanaya

蒲原宿

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江戸日本橋を出発し、15番目の宿「蒲原」。
蒲原宿は安藤廣重が描いた東海道五十三次シリーズの中でも傑作中の傑作といわれる『蒲原 夜の雪」で有名です。
宿場の東の出入り口「東木戸跡」から「西木戸跡」まで約1km余りの小さな蒲原宿ですが、旧東海道沿いは昔の風情を今でも強く残しており、「旅籠 和泉屋」(国登録有形文化財指定)や「本陣跡佐藤家」、元商家「志田邸」(国登録有形文化財指定)などが保存されています。また「なまこ壁」の家も現在もなお住まいとして使われています。

由比宿

蒲原宿から約一里(4Km)、旧東海道入口から枡形道路を約2Km位進んでいくと「由比本陣跡」が整備され公園となっています。ここには「東海道広重美術館」ありが多くの版画ファンが訪れています。

本陣跡を出ると「由比正雪」の生家「正雪紺屋」があり現在18代目が紺屋を継いでいます。その隣りには脇本陣が並びこの辺りは宿場町の中心を成し、また、由比特産の“さくらえび”料理を食べさせてくれる店が何軒かあります。
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格子戸のある家並みを進むと寺尾から西倉沢に入り、東海道の左手に駿河湾を一望しながら「薩捶峠」(さったとうげ)に続きます。

「薩捶峠」の展望台から東方面を見る景色は安藤広重描く「由井宿」のように雄大な富士山と眼下の駿河湾はこの東海道で一、二を争う景勝地です。きっと「来て良かった」と思って頂ける事でしょう。

興津宿

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薩捶峠を下だり、興津川を渡ると江戸から17番目の興津宿です。興津は、明治以降は元勲達の別荘地として知られ、昔は“興津参り”という言葉もあったと言います。

当時は“中宿”から身延久遠時を結ぶ“身延道”があり昔から軍事、交通の要でもあったようです。ここから少し先には本陣跡があり宿場の中心地となります。

さらに500m位で東海道屈指の名刹「清見寺」が見えてきます。家康公が接木したとされる臥龍梅や梵鐘、山門、書画など指定文化財があります。

清見寺を出てすぐ向かいには明治、大正、昭和に渡る政治家西園寺公望公が晩年に立てた別荘「坐魚荘」が忠実に復元されていて、希望により見学できます。

江尻宿

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興津から約2Km、道路は二股に分かれた所に「ほそいの松原」(現在は松が1本のみ)があり江尻宿の入口です。江尻宿は天然の良港「清水湊」に恵まれ、廻船問屋も幕府に認可されていたこともあり大変活気があったようです。

また、本名、山本長五郎こと「清水の次郎長」は、東海一の大親分として有名ですが、明治維新後は政府から清水の治安を任され、三保の開発や富士山麓の開墾など人の為、世の為に活躍した人物で、今は梅蔭寺に眠ります。

「稚児橋」で巴川を渡りしばらく行くと追分に着きます。ここには三保で栽培された甘薯から作った名物“追分羊羹”が売られていて、現在も清水名物として人気です。街道の「追分道標」や「都田一家供養塔」を見ながら一路府中へ向かいます。

府中宿

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旧東海道は、江尻の狐ヶ崎付近から現在の南幹線になってしまい、静鉄「運動場駅」前から少しの間ありますが、JR東海道線の線路で寸断され陸橋を渡り古庄旧道に出て国1を横断して長沼旧道に出ます。現在の横田町から再び旧東海道に入りいよいよ府中宿です。

上伝馬本陣・脇本陣跡碑を見て家康公ゆかりの駿府城址に向います。ここは市民には駿府公園として親しまれていて、周辺には、駿府町奉行所跡碑や巽櫓、家康公お手植えみかんなど見ることができます。府中宿(静岡)は再々の火災や空襲、開発で街道に昔の面影を残すところがほとんど無く残念です。

駿府城址から約1Km、今の新通りから安倍川のたもと弥勒に出ます。ここには家康公が名付けた「あべかわ餅」を今でも手作りで食べさせてくれる老舗があります。安倍川を渡り丸子宿に向います。

鞠子宿

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鞠子宿に通じる旧東海道は、所々に格子戸のある家が点在し、当時を偲ばせてくれます。

丸子は自然薯で作る「とろろ汁」が何と言っても有名です。当時は「とろろ汁」を食べさせる茶屋が十軒ほど並んでいたようです。十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」で弥次さん北さんも食べた茶屋や広重の描いた茶屋は現在の「丁子屋」だと推測されているそうです。今でも「丁子屋」は当時を思わせる茅葺のままの姿で営業をしています。
さて、昼食後は、秀吉が褒美として与えた羽織がある「お羽織屋」のある集落を抜けて、難所として有名な宇津谷峠に続きます。

岡部宿

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古い家並みが続く街道を進むと「大旅籠 柏屋」(かしばや)が左手にあります。ここは、岡部町が資料館として公開しており、中を覗くと弥次さん北さんがくつろいでいる姿が見えます。

柏屋のすぐ先が本陣のあったところで「岡部宿本陣跡」の碑があります。

さらに進むと「問屋場跡碑」や「枡形跡碑」を見ることができ、やがて松並木が街道筋に残されていて当時を偲ばせてくれます。この先「葉梨川」を渡ると藤枝宿に入ります。

藤枝宿

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藤枝宿は東木戸口から2Km近くもある長い宿場です。

今でも商店が軒を連れていますが、田中城の城下町としての当時も問屋場、本陣、旅籠、商家が建ち並び交通の要所、教育の中心であったと言われています。特に青島地区の旧東海道は当時を偲ばれるものがあります。

ところで岡部から始まるこの地域は「志太地域」と呼ばれ優秀な造り酒屋が多く、毎年全国の鑑評会でも上位に選ればれ、近年、「志太の美味しいお酒」として全国に知られるようになりました。

嶋田宿

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「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われるように東海道随一の交通の難所「嶋田宿」です。大井川手前の「大井川川越遺跡町並み」は本当に江戸時代にタイムスリップしたかのようで、現在も実際に住みながら保存されています。

町並みの終わりには、「川会所」が再現保存されていて当時は、毎日、川会所の役人と川越え人足が川の深さ(水量)を測りその日の賃料を決めていたそうです。

川会所から2Kmほど下流には、ギネスブックにも登録された“世界一長い木製橋”で知られる、「蓬莱橋」があります。蓬莱橋は、渡るのに「渡り賃」が必要なので「賃取り橋」と呼ばれています。(歩行者大人100円、こども10円)

金谷宿

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難所大井川を越せば、十宿めぐり最後の金谷宿です。

江戸から24番目の金谷宿は、東に大井川、西に小夜の中山峠に挟まれた宿場町です。当時は、大水で川止めになると大変な賑わいの町だったようです。

旧東海道沿いには古い家並みが数多く残され、当時の雰囲気があります。

また、大井川鉄道はSLを運行保存していることで知られており、新緑の大井川沿いを煙を上げながら進む姿は、全国のSLファンを魅了して止みません。

新金谷駅から西進し金谷駅を過ぎ、坂を登ると「金谷坂石畳道」が見えます。町名も現在「坂」と言います。ここから長い上り坂中山峠の始まりです。

次の宿は日坂宿です。

さて、東海道からお別れし、富士山静岡空港に向いますが、ここは牧之原台地の上です。全国に類を見ない大茶園が展望できます。北海道富良野の風景にも負けない「牧之原の大茶園」を最後にお楽しみいただきながらお別れとなります。

本日は、ご乗車誠にありがとうございました。
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